フォトグラファーとなってから、新ためて訪れてみたいと思っていた街・・・長崎
公立病院の裏手にある駐車場近くの急な階段を上ると・・・
「山王神社 二の鳥居」がいる
この鳥居は、1945年8月9日午前11時2分原爆によって半分を吹き飛ばされた
それからこの鳥居は、そのままの姿でこの場所で佇んでいる
鳥居を撮影している時に、地元の方と思われる年配の女性の方に後ろから声をかけられた
年配の女性「鳥居を撮られてるんですか?」
僕は後ろを振り返り
「えぇ・・・こうした第二次世界大戦の傷跡や記憶を記録しているんです」
そして、僕はまた前を向き再びシャッターを切りながら・・・
「こうして戦争の傷跡の今を記録して残してゆくことが、我々写真を愛するものができることの一つのような気がして・・・こうして記録しているんです」
年配の女性「・・・」
「2009年の二の鳥居はどんな姿だったのか・・・僕じゃなくても誰かが記録しているんでしょうけど・・・けど・・・僕も残しておきたい、伝えてゆきたいと思って」
年配の女性「そうですか・・・ありがとうございます」
「(ありがとうございます・・・なんて)そんなそんな!ただ、勝手にそう思ってやっているだけですから!」
と、振り返ると・・・
え・・・
そこには誰もいなかった・・・
どうやら年配の女性は足早に立ち去って行ったのだろ・・・
その、二の鳥居のいる道を過ぎ神社へと向かうとそこにも大きな大きな被爆者が・・・
この大きな2本の楠(くすのき)・・・美しい緑の葉を育む大きな楠は
被爆者なのだ・・・
それでも立っている大きな樹を見たとき・・・ジーンとした
頑張って頑張って生き抜いてきた楠
人であっても樹であっても・・・原爆被害にあえば、そうとうシンドイ思いをしてここまで来たに違いない
それでも生き、そして緑の葉を育み大地に立っている姿・・・ジーンと来た
原爆被害にあった長崎と共に生き抜いてきた楠・・・もちろん樹にも寿命というものがあるだろう・・・
けれど・・・けれど、生き続けて欲しいそんなことを思った
境内には被爆当時の写真があった・・・この写真を見たとき「記録する」ということの尊さを新ためて感じた
残してゆくこと・・・伝えてゆくこと・・・それも写真にできることの一つ
「写真は記録・・・」
我が師匠伏見行介氏の言葉が頭をよぎった
今、被爆楠は次の長崎を担う子供達を、こうして見守りながら佇んでいる
それでも生き続けている姿を子供達に見せながらそこにいてくれている
取材撮影を終え、新ためて戦争の無意味さを感じた・・・そして、僕はフォトグラファーでい続けられる限り
こうした戦争の傷跡や記憶を記録してゆこう
そんなことを思った
すみません多忙期に入りましたm(_)mコメントは全て読んでいますがお返事が出来なくなりそうです
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