「引き込まれてゆく月・・・」5月28日今日のショット

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非公開フォルダーからの一枚
夜空を見上げた・・・雲が吸い込まれるような動きを見せていた
まるで、夜空に浮かぶ月ごと何かに吸い込まれていくような夜空だった

前回のエントリーのコメントでブログ仲間のdream_seed さんから
「綺麗な写真が氾濫している時代には、どういう写真が求められるのでしょうか?」
というコメントを頂いた

この質問について、コメント欄では書ききれなかったため
エントリーで答えてみようと思う
答えを書く前にお断りしておきたいことがあるのだが
こうした、個人的見解を書く場合
僕のようなブログであっても炎上ぼやの可能性もあるため
これから述べる見解はあくまで個人的見解であり 正しいとは言えない可能性もたぶんに含んでいる
ことを了解していただきたい
(ご興味のある方は、こちらをクリックもしくは↓のMoreにて続きが記されています)


すみません多忙期に入りましたm(_)mコメントは全て読んでいますが
いただきましたコメントのお返事が出来ない場合があります申し訳ありません


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ここからは、ご興味のある方へお断りしておきたい
ちょっと腰が引けているようなことを最初に述べてしまうのは申し訳ないのであるが
不特定多数の方もお読みになるゆえ
ここでは、「僕を含めた「誰か」の写真をもって、このような写真がそれである」
と言うような論じ方ではなく
あくまで見解だけを論じてゆくことをお許し願いたい
また、異論も数々出ることは予想されるのであるが
一個人の見解であると、捉えていただきたく思う
(また、文章があまり上手くないため、気付かず失礼な発言をしてしまっている場合もあるかも知れません
先に謝らせていただきますm(_)m申し訳ありません 売れないフォトグラファーの戯言と思いお許しくださいませ)

さて、ご質問の内容であるが
「綺麗な写真が氾濫している時代には、どういう写真が求められるのでしょうか?」
ということであったが、この質問の意図をどう捉えれば良いのかを考えた
と、言うのも質問の示す範囲があまりにも広く取れることもあるため
少々、考えることとなった
例えば、「綺麗な写真が氾濫している時代」とされる部分は
全てのフォトグラファーのメンタル的、技術的な撮影レベルが向上し
質問者ご本人様が、綺麗だと思える写真が溢れる時代になったと
捉えて考えるべきなのか
デジタルカメラの技術革新によって、これまで写真というものに携わったことのない人でも
カメラの技術のお陰で、簡単に綺麗だと思える写真を撮ることが可能になった時代としているのか
また、質問後半部分の「どういう写真が求められるのでしょうか?」
という部分についても
どういう写真とは、なかなかに広い範囲であり
また、誰に求められているのか?という確定的な対象がないためお答えする範囲が
非常に広くなってしまう
と、僕は捉えた

それゆえに、今回はデータや先人、見識者の見解を踏まえながらのお答えの仕方ではなく
あくまで僕の個人的な見解をお答えすることを前提とするために
僕は、質問の内容を
「昨今、美しく、綺麗だと思うことのできる写真がブログなどで多く見られる良い時代になったと感じるが、
今後は美しい、綺麗、だけではない写真が、写真ブロガーや全てのフォトグラファー、また、閲覧者が求めていると考えるのであるが
エンゾ氏は、どのような写真(この部分が僕の方でも抽象的になってしまい申し訳ありません)
がそれに相当するものだと考えるかを述べよ」
と、捉えることとした

結論を先に述べてしまいたいと思う

この質問の結論には2つの結論が見出されると僕は考えた
ダブルスタンダードになってしまうことをお許しいただきたい
一つには、「反対のもの」
という結論
もう一つには「「個(撮り手)」の特性が非常に顕著に現れる写真」
と言った2つの結論を僕自身は見出した

「反対のもの」についてであるが
そのものズバリであれば「美しくなく、綺麗でもないもの」となるのである

何をもって美しいとするか、何をもって綺麗とするかは
個人的見解や流行、時代背景も影響すると僕自身は考えるため
これが「綺麗で美しいものである」と、一概に言い切ることは出来ないのであるが
僕個人の見解として「視覚的には、概ね高コントラストで色ヌケの良い写真であり
(この部分はあくまで個人的見解であり低コントラストで色ヌケが悪くても)、
見て下さった方々が概ね清々しい気持ち、もしくは安堵、安心を感じ、嫌悪感を感じないもの」を
僕自身は「綺麗で美しい写真」としている

そういった写真が増えることによって
逆に「見てくださった方々が嫌な気持ちになるものや、恐怖や不安、嫌悪感を持つもの」が
求められることも考えられるのである
なぜならば、僕は「社会は振り子のように動いてゆく」という説を取っているからである
では、何を持って「見てくださった方々が嫌な気持ちになるものや嫌悪感を持つもの」とするかを
定義するのは、現時点の僕では力不足でありそれを定義することが出来ないのであるが
(申し訳ありませんここは濁らさせてくださいm(_)m)
「モーメントは反対に向いてゆく」と考えることが出来るのではないかとした

また、他方「反対のもの」とする結論の取り方を
もう少し広範囲に捉え
「綺麗で美しいもの以外のもの」と捉えることも出来る
この場合、それは何を指し示すものなのだろうか
僕は、頂いた質問の中のキーワード「時代」が参考になるものと考えた

広告業界の中では、「時代は巡る」とした考え方がある
定かではないが、それは7年周期とも26年周期とも言われているのである
これを、参考に考えた場合、今から7年もしくは、26年前、さらに7×2の14年前、26×2の52年前の
写真を参考にすると自ずと答えらしきものが出てくるのではないかと僕は考えている
(この点も力不足であるためキチンとしたお答えになっていない点をお許しください)

以上の見解をもって
結論とした、「反対のもの」の見解としたい

もう一方の「「個(撮り手)」の特性が非常に顕著に現れる写真」であるが
平たく言ってしまえば「個性溢れる写真」ではないだろうかと考えている
例えそれが、今までに見られたような「美しく、綺麗」な写真であっても
その人らしい「美しさ、綺麗さ」が求められることになるのではないだろうか
即ち、皆が求める「最大公約数的」な、美しさ、綺麗さ、から
「個人特性が顕著に現れる」美しさ、綺麗さへと
パラダイムシフトされてゆくのではないだろうかと僕は考えるものである
千人のフォトグラファーがいるのなら千人の見解と美的センスがそこにあると僕は考えている
それは、一つ一つのセンスはまったく独立したものでありつつも
少しづつかぶさるものもあれば
まったくかけ離れたものもあろう
その、センス一つ一つの「個の特性」、例えば、人となり、生き方、考え方、人生観、好きなもの、嫌いなもの、
そうしたものが色濃く浮き彫りになる作品が求められるのではないかと僕は考えている
また、これはこうした時代だからこそでもあり、こうした時代になる前から求められ続けていることでもあると僕は考えている

以上の見解をもって
もう一つの結論とした、「「個(撮り手)」の特性が非常に顕著に現れる写真」の見解としたい

あくまで個人的見解であるが、僕はdream_seed さんからの質問の答えを
今後は、「反対のもの」と、、「「個(撮り手)」の特性が非常に顕著に現れる写真」
が求められるものであると現時点では結論付けた次第である

重ね重ねではあるが、ここで述べていることはあくまで狭い個人的な見解でありますゆえ
読んでいてご気分が悪くなられた方がおりましたら
どうか物知らずの戯言と受け止めていただきお許しをいただければと思っておりますm(_)m



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by enzz3121 | 2010-05-28 17:02 | Blue time
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